髪やのブログ
2026.09.03
ただより高いものはない
今年も9月に入りました。まだまだ暑さは残っていますが、少しずつ、あの暑かった夏から距離があいてきたのかなと感じているこの頃です。
皆さん、この夏はいかがお過ごしでしたか?
私は、できるだけ朝早く起きて、できる用事は、暑さがまだましな朝に済ませ、お昼はできるだけ出歩かず、普段しない家の掃除等、ゆっくり過ごすようにしていました。そして、動くのは夕方になってから。今年の夏は、そんな過ごし方をしていました。
これからまた季節の変わり目です。
雨が多くなる時期でもありますので、雨による災害などが少し心配ですね。
さて、先日、「ただより高いものはない」という言葉について、ちょっと面白い話を聞きました。皆さんは「ただより高いものはない」と聞くと、どんな意味を思い浮かべますか?
私はこれまで、他人から「ただ」でもらったものほど、後々高くつくことがある。そんな意味だと思っていました。
ところが、先日聞いた話は、少し違いました。「特にお金を出して手に入れたわけではないけれど、自分に自然と備わっているものこそ、とても尊いものですよ。」そんな意味として考えることもできるそうです。
例えば、自分自身の身体。目も、耳も、手も、足も、心臓も……。お金を払って買ったものではありません。生まれてきたときから、自然と与えられていたものです。もし誰かに、「その耳、いくらで売ってくれませんか?」
と言われたら、
「いやいや、売りませんよ!」となりますよね(笑)。いくらお金を積まれても、簡単に手放せるものではありません。そう考えると、私たちは生まれたときから、お金では買えないものをたくさん与えられているんですよね。
空気もそうです。水もそうです。水道代は払っていますが、その元になる水は自然から与えられているものです。そして健康もそうです。健康なときには、それを「ありがたいもの」とあまり意識しません。永遠に今の自分でいられる気がします。
ところが、一度病気になって病院に行き、元気を取り戻したとき、「健康ってありがたいな」と改めて感じたりします。考えてみると、私たちの周りには、お金を出して買ったわけではないけれど、とても大切なものがたくさんあります。
家族との時間。人とのつながり。季節の移り変わり。朝、目が覚めること。ご飯がおいしく食べられること。そして、今日もこうして一日を過ごせていること。それから、ふと考えると、今、妻が私の横にいてくれていることも、当たり前のようでいて、決して当たり前ではないんですよね。
長い年月を一緒に過ごして、楽しいこともあれば、大変なこともありますね。そんな時間を一緒に過ごしてきた妻が、今も横にいてくれる。これも、お金だけを出して買えるものではありません。
そう考えると、普段は当たり前だと思っていることの中に、本当はものすごく価値のあるものがたくさんあるんだなと思います。こうして考えてみると、「当たり前」というものほど、実はとても高価なものなのかもしれません。
そんなことを私たちは毎日のように繰り返しています。だからこそ、あまりにも普通すぎて、その価値に気づかないのかもしれません。でも、それができなくなったときに初めて、「当たり前だと思っていたことが、実はありがたいことだったんだ」と気づくんですよね。
資本主義の中で生きていると、ついつい「もっと上へ」「もっと良いものを」「もっと豊かに」と考えてしまいます。もちろん、向上心を持って上を目指すことも大切です。
でも、上を目指すことばかりではなく、今、自分の手元にあるものを一度立ち止まって見つめることも大切なのではないかな。と感じました。もしかすると、「幸せな人生」というのは、たくさんのものを手に入れることだけではなく、すでに自分のところにあるものに、どれだけ気づけるかということなのかもしれませんね。
「ただ」という言葉が、適切なのかは分かりません。でも、「ただ」で手に入っているように思えるものの中に、実はお金では買えないほど尊いものが、たくさんあるのかもしれません。
当たり前だと思っているもの。いつもそこにあるから、特に気にも留めていないもの。そんなものを、もう一度見直してみる。そうすると、今まで気づかなかった「ありがたいもの」が、意外とたくさん見つかるのかもしれません。
もしかすると、人生で本当に大切なものは、最初から私たちの身近にあるのかもしれませんね。「ただより高いものはない」。この言葉を、そんなふうに考えてみるのも面白いなと思いました。皆さんにとって、「お金を出して買ったわけではないけれど、実はとても尊いもの」って、何がありますか?
よかったら、また教えてください。
